定時連絡(2024/08/23)東北廃班(片上班)

こんにちは、全共の単位を1つ落としてしまった久保田19です。前期で吉田南を卒業できるかと思いましたが、後期もまだ通うことになりそうです。見かけた場合はこっそり嘲笑ってください。再々々々々履修では取れるように頑張ります。

さて、あげるのが少し遅くなってしまいましたが片上班の行程最終日の定時連絡をお届けします。福島県はいわきからスタートした長旅も今日でいったん終了ですね。

メンツ:片上23(班長)、煙岡24砂原24大脇23
今日の行程:岩内→R229→キナウシ覆道→神威岬→余市


久保田「キナウシ覆道はどうだった?」 
片上「ちょっと内部に入る場所が危なかったです。久保田さんが教えてくれた斜面から入れる場所ってのがなくて、波がうちつけて崩れているところの1ブロック隣からしか入るしかなかったです。波が高くなったらさらわれちゃいそうで、すぐに出ました」

写真を見た感じこの日はかなり波が穏やかなようなので、片上たちが入ったところも普段であれば波に飲み込まれていたと思います。少しだけでも中に入れたのはかなり運がよかったのではないでしょうか。

片上「それと今日は何度かゲリラ豪雨にあったのがしんどかったです。大粒の雨に一瞬降られたり降られなかったり、そういうのが何回か繰り返してきてめちゃくちゃうざかったです」

聞いてみれば神威岬も雨が降ってしまったそう。あそこは部員にもリピーターがいるくらいには晴れたらきれいな場所なので、是非いつかリベンジしてほしいところです。

片上「江別に実家のある砂原が今日の夜に輪行してしまうのと明日以降はみんなバラバラになるので、今日の余市をもって解散にすることにしました

20日間にわたる夏合宿、本当にお疲れ様でした砂原は実家でゆっくり休んでもらって、他の班員も明日は札幌で他班と合流したり優勝したりできることだと思うので、疲れた体を休めつつこれまでの思い出をかみしめていただけたらと思います。



ここでいったん班員のみなさんに電話をまわしてもらいました。

煙岡「今日は実質最終日みたいな感じやったんですけど、まずキナウシに行けたんがよかったですね。めっちゃテンション上がりました。ただそこの入るところが危険というか、けっこう鋭利な岩でできていたうえに割と細身やないと通れない隙間で、僕もギリギリでした
久保田「俺はいけそうだった?」
煙岡いや無理ですね

悲しすぎるくらいに即答でした。

煙岡せやから久保田さんはどうやってここ通ったんやろうって不思議やったんですけど、昔は別のところから入れたんですね」

そうです。KUCCで初めてキナウシ覆道に行ったのは2022年ポス夏北海道なんですが(起源の主張)、当時は核心部の3ブロックくらい手前にある隙間から覆道内に入ることができました。おそらく当時より浸蝕が進行した結果、今ではそこが使えなくなっていたのではないかと思います。
ちなみに2年前のメンツは伊原原田21という部内でも有数にケツがデカい3人だったので、煙岡片上でギリギリくらいの隙間ならこの3人は片足たりとも通過できなかったことでしょう。当時ですら僕は帰りに落差をよじ登れず2人にケツを押し上げてもらっていたので、いやはや、廃道とはいつ行けなくなるかわからないものですね。

煙岡キナウシは廃道としてはこの班で行った中で一番よかったです。今までも廃ではあったけど、今回のは道が見てわかりやすく破壊されてて、その度合いが格別でめっちゃよかったなと」

だいぶ刺さったようです。東北班として片上も班長冥利に尽きるのではないでしょうか。

煙岡それと今日はほんま雨がウザかったです。神威岬で風が強すぎて、駐車場を走っているときにあおられてまっすぐ進めなかったんですよ。車に当たってしまいそうなくらい。岬もチャリを置いてみんなでのぼったんですけど、風と雨でやばかったです」
煙岡岬からの帰り道に斜度4%くらいの坂をのぼろうとしたら、あまりの風の強さに数秒だけペダルを踏まなくても加速していく瞬間がありました

聞くだけでやばそう。体が吹き飛ばされなくてよかったです。

さて、今回は最後の定時連絡ということで「夏合宿を通して一番思い出に残っていること」「これまでの定時連絡で言い忘れたことや訂正したいこと」の2つを聞いてみました。

★一番思い出に残っていること

煙岡1つの思い出じゃなくてちょっと抽象的なんですけど、僕は自炊が一番思い出に残っています。まず一日目に作った味噌ラーメンは味が濃くなりすぎっちゃって、食べきれずに廃棄したことがあったり。場所によってはコソコソ調理したり、洗い物で周りに気をつかったり追い出されたり。そういうのも含めて自炊ってのが一番思い出です

ほぼマイナスの記憶やんけと思いましたが、それをこみで今ではいい思い出だということなんでしょう。

煙岡昨日の定時連絡でも話したんですが、僕は食べるのがすごく好きなんで、そもそも自炊はツアーの楽しみの中でも有数のものでした。あとは班員の人とゆっくり喋ることができる機会というのも、けっこう自分の中でよかったかなぁ」
久保田「ちなみに振り返って一番おいしかったなって思う自炊は何だった?」
煙岡一番うまかったのは、、、うーんそうですねぇ。秋ノ宮温泉のカレーとチンジャオロース、うーんやっぱりカレーかな。お母さんのよりおいしかったです

ママ岡煙岡のお母さま、もしこの記事を読んでいたとしても悲しまないでください。知樹くんは長旅でちょっと疲れているだけなんです。どうか帰ってきたら野菜を手でちぎったり肉を常温で運んだりしていないちゃんとしたカレーを作ってあげてください。でも確かにあのカレーはうまかったよなあ。


★定時連絡で言い忘れたこと・訂正したいこと

煙岡山碕さんの定時連絡で『大脇さんみたいに民度の低い人は爆発すればいい』って書かれてたんですけど、そんなことは一切思っていないというのを訂正させてください。紆余曲折あってああいう文面になりましたけど、大脇さんはKUCCの中では民度高いほうだし、周りからどう見られているかをけっこう気にしていると思うのでそんなことはないです」

大丈夫、そこはわかってます。大脇昨年に実施した民度チェッカーでも高民度という結果が出ています。というか大脇でアウトなら、KUCC部員の8割は即ポアです。

久保田片上はどうだと思う?」
煙岡片上さんは平均くらいですかねぇ。でも一番ヤバいなあと思ったのは函館のコインランドリーで、中に銀マットひいて寝だしたときで、、、」
後ろの片上「いや、銀マは引いてない」
煙岡あ、引かずに寝たそうです」

それはそれで民度低いけどな。

煙岡まわりにお客さんが普通に通ったりしてるのに、地べたで寝るのって普通にヤバいですよね」
久保田「うん、ヤバいな」
煙岡「あでも色々班長の責務でお疲れなのはわかるし、片上さんはいつもはすごく気を遣ってくださるし、多少そういうマイナスがあっても、他は全然そんなことなくて」

なんか急にめちゃくちゃフォローしだしました。電話の向こうで片上に熊スプレーを突きつけられていたのでしょうか。

煙岡(自分の民度は高いと思うかという質問に対して)高いほうやと思います、間違いなく。砂原には遠く及びませんけど」
煙岡僕はとぅいまを絶対にしないでおこうと思ってそれを最後まで貫きました。イートインと快活で合法的に充電したり、ツアー中はスマホをウルトラバッテリーセーバーモードにして極力消費しないようにしたり。モバイルバッテリーも3つ持ってきたけど結局1個しか使ってないんで、来年もこのスタイルでいける思います」 

KUCCでは低民度の人間ほど声がデカい傾向にあるため、しばしば高民度の部員が肩身の狭い思いをしたり、それが間違っているかのように扱われたりすることがあります。が、断じてそんなことはなくて、煙岡砂原自分がすべきでないと思ったことすべきだと思ったことは上回生になっても貫き通してほしいなと思います。

煙岡あと気をつけたいこととして、昨日洗い物ジャンで負けたので洗い物をしてたんですが、けっこう食材の残りカスが多くて排水溝を詰まらせちゃいそうになったんですよ。100均で穴あきポリ袋みたいなのが売っているので、それを活用してセルフ三角コーナーみたいなのを作って詰まらせないように気をつけていきたいです」

我々の活動ってどうあがいても他者からの善意と許容で成り立っているものなので、せめて立つ鳥跡を濁さずの意識だけは守っていきたいもんですね。

煙岡でも砂原には遠く及びません(2回目)」

大丈夫、2人とも十分に高民度です。
この夏合宿を通じて一通り色んな経験をしてきたと思いますが、きっと煙岡なりのツアー観みたいなものができあがっていることと思います。それを大事にするとともに、ぜひこれからも様々なツアーに行って自分の楽しみを見つけてほしいなと思います。3週間、お疲れさまでした。


続いて大脇に電話を替わってもらいました。

久保田「今日の感想を聞かしてもらってもいいかな?」
大脇「まずキナウシはすごくよかったです。あと積丹半島自体が自分好みの地形で、山から即海みたいなのが自然の力、海の力を感じられてよかったですね」
久保田大脇は覆道の中には入ったん?」
大脇「入らなかったですね。てか久保田さんどうやって入ったんですか?? 砂原が入れなかったのに、煙岡がずっと『久保田さんどうやって入ったやろ』って言ってましたよ」

みんな俺のことデカい樽か何かだと思ってる?

大脇「積丹半島は地形も相まって海岸に崖が露出しているのでトンネルがめちゃくちゃ多くて、『あー工事頑張ったんだな』みたいな、そういうのを教えてくれる場所でした」

積丹のR229は北海道を一周する国道では最後に開通した道路で、それこそ神威岬に通じるあたりは1996年の全通時まで道がありませんでした。自然の力強さを感じながら同時に近代土木技術の恩恵に思いをはせるとは、この班のコンセプトにも通じるいい楽しみ方ができていたのではないでしょうか。

大脇「神威岬での話なんですけど、雨と風がすごい強かったんですよ。それで僕が『HOT LIMITのMVみたいだなあ』って言ったのに、誰もわかってくれない。ひどすぎませんか?」
久保田「ごめん俺もわからん」
大脇変な黒いガムテープを巻き付けた衣装で風にあおられながら踊るやつなんですけど、あれみたいだねって言っても片上も誰も反応してくれなくて」
後ろの片上「俺はわかってたよ」
大脇片上わかってたのに無視してたらしいです。ひどい」 

TMなんて世代じゃねぇよって人がイメージしやすいように、以下にクソコラを張り付けておきます↓ 今日の神威岬はこんな感じだったらしいです。
ていうかHOT LIMITって1998年リリースらしいから俺ですら生まれてないですね。どっちかっていうと親世代では?



久保田「そういえば大脇って田沢スーパーでもドラゴンボールがどうのとか言って、例えが誰にも通じず悲しんでたな」
大脇この班の人たちは常識がないんです。とくに煙岡がひどくて、聞いてみたら煙岡家には娯楽がほとんどないらしいんですよ。煙岡は夜バイトか図書館で勉強して10時に家に帰ってきたら、飯食って寝るだけみたいです。それで翌朝は起床から10分で大学に射出するって言ってました」

ツアーより準備早くて草。まあ実家勢は通学時間が桁違いですから仕方ない面もあるでしょう。

大脇「一応漫画はあるらしいですけど、通学中に音楽聞くとかもしないしYouTubeも見ないからなんにも知らなくて。〇MMCもSUSURU TVも知らないなんて信じられますか?

YouTubeコンテンツの例として真っ先に〇MMCが出てくる大脇もたいがいな気がしますが。それとKUCCにいるとSUSURUはOKみたいな錯覚に陥っちゃいますけど、世間的にあれはだいぶ"こちら側"なので気をつけたほうがよいです。


★一番思い出に残っていること

大脇田沢スーパー林道から舗装路復帰した瞬間かな。僕はKUCCの活動の中でも特に喜びを感じるのが、ダートとか林道とかの危ないところから舗装路に復帰したときなんですよ。今回は撤退ではありましたけど、それでも安心感とかやり切った感とか、僕はそういう瞬間が一番好きです。」
久保田「舗装路にキスとかはした?」
大脇「復帰した瞬間はアブが多すぎてそれどころじゃなかったです

田沢スーパー林道の河辺側には誇張抜きにアブが1000匹生息していて、ガチで体に30匹くらいまとわりついてきます。キモすぎて普通に発狂しそうになるし、伊原だったらたぶん泡吹いて気絶します。
しんどい行程からの舗装路復帰(いわゆるシャドウバース)は、何回生になってもたまりませんね。そういう道は西日本にもたくさんあるので、大脇にはぜひこれからも廃にチャレンジしてほしいと思います。いつか一緒に舗装路にディープキスをしに行きましょう。


★定時連絡で言い忘れたこと・訂正したいこと

大脇「定時連絡ではないんですが、1つだけ言うタイミングを逃して伝えておきたいなということがあります。田沢スーパーのときに前で藪漕ぎをしてくださったり、自炊や洗い物の手伝いを色々してくれたり、久保田さんありがとうございました。めっちゃ助かりました」
キョドる久保田「ソ、ソンナコトナイヨ。タイシタコトナイヨ。アリガトウネ」

急に感謝の言葉をいただいて思わずキモい反応をしてしまいましたが、ありがとうございます。煙岡も言っていましたが大脇こそ周りのことをちゃんと見ていて、片上や1回生sが助けられた部分もきっと多かったんじゃないでしょうか。班長からすれば気心の知れた同期が班にいてくれるだけで心強いし、場を盛り上げたり気配りしたりできるいい上回生だったと思います。ほぼ全参加でのサポート、お疲れさまでした。



最後は砂原です。

久保田「お久しぶり、元気してた?」
砂原「元気です!」

よかったです。

砂原「今日はずっと国道229を神威岬に向けて走ってたんですけど、全部のトンネルの隣に旧トンネルがあるってくらい旧道が大量にあって。作り直し続けた結果が今こういう道なんだなってことが塞がれたトンネルから感じられて、ロマンでしたね
砂原「キナウシ覆道の近くのところも3世代のトンネルが並んでいて、そのうち一番上の旧旧トンネルは塞がれずに入っていけたのが新鮮でした」

砂原の撮った写真を引用させてもらうと、3つのトンネルが並んでいる光景っていうのはこれです↓ これの一番上にある古びたトンネルを通っていけるのがキナウシ覆道で、キナウシ覆道は左に見切れている塞がれたトンネルを向こうに出た続きの道です。



砂原「旧旧道のトンネルをくぐったらすんなりキナウシ覆道に入れるのかなあって勝手に想像してたんですけど、僕たちが入ろうとしたところが覆道のブロックが落ち込んで波が押しよせる場所のすぐ近くで。覆道に波が入ってくると中で反響してめちゃくちゃ大きい音になって、自分は恐怖もあって入れなかったです。煙岡片上さんは入ったんですけど、結局は危ないってことで撤退しようかっていう判断になりました。コンクリートの覆道なんてしっかりしたつくりのはずなのに、それがめちゃくちゃに破壊されるなんて、自然の脅威を感じました


砂原「近くに行けただけでもよかったし、何より無事に戻れてよかったですね」

本当にその通りだと思います。"廃"を楽しむことは、危険と隣り合わせです。

砂原「神威岬は自分が経験した中でもトップクラスに入るくらい強風でした。自転車に乗るためにコントロールが必要で、楽しかったけどびびりましたね」

その状況で楽しめてるだけで才能ありありです。砂原は田沢スーパー林道でも乗るのも上手だったしそのときも「自転車をうまく操るのが楽しい」と言っていたので、きっとダートの才能があると思います。

砂原片上さんからも一緒にトレイル行こうよって誘えてもらえたので、いつか行ってみたいです」

うん、たぶん上手だと思うよ。俺はトレイル行かないけど、今度は(ちゃんと乗れる)ダート林道とか一緒に行ってみたいですね。

砂原「今は神威岬の後に余市まで来て小樽なると屋っていうザンギの店でみんなとご飯食べてます。その後輪行して、今日実家に帰ります」
久保田「実家、江別だったよね」
砂原「そうです、おおあさです」
久保田「あ、大麻って書いておおあさのあそこね!」
砂原「そうです、大麻です大麻!

まさか砂原から大麻とかいう単語が聞けるとは思いませんでした。

久保田じゃあ実家で遅めの晩御飯食べれるくらいには着くのか。いいなあ
砂原
「うーん、みんなでご飯たべてるところだから、帰ったらお風呂でも軽く入って、ベットでゆっくり休もうかなと思ってます」

ごめん、砂原は晩御飯2回食べたりしないよね、失礼いたしました。


 ★一番思い出に残っていること

砂原「僕は八幡平ですかね。 BASは曇っていたのもあって気づいたらけっこう上まで来ていて、頑張っていたらいつの間にか着いたという感じだったんですが、八幡平のほうは本当にのぼりが長くて、漕いでも漕いでも着かなかったです。途中から晴れてきたので終盤はいい景色を楽しみに漕いでいたんですが、九十九折で右に行ったり左に行ったりなかなか進まずきつくて、めっちゃ頑張ったその先に晴れてきれいな景色が見れてよかったです。満足のいく写真も撮れて、お土産も買えて、きちんと来た甲斐あったなあって思いました」

砂原はタナコンTTで回生1位なくらいなので走力はあるはずですが、ツアーだと単純な脚力とは別の要素が必要になってくるのもまた事実です。そういったものがこの夏合宿を通して身についたのではないかと思います。線つなぎにしろ観光にしろ、ツアーの楽しみとは「来た甲斐があったなあ」という感情に帰結できるものなので、それが感じられたならよかったと思います。


★定時連絡で言い忘れたこと・訂正したいこと

砂原「今まで言ってなかったこととして、班長の判断がすごく賢明なものが多かったと思います。今日の覆道のところとかも、もし上回生と一緒だったら多少厳しそうでも行ったり、あとは田沢スーパー林道でもきっと行きたかった気持ちはあったと思うんですけど、煙岡のことを気遣ってくれて、あとは夏合宿ということもあって撤退しようと提案してくれたのではないかと思います。僕たちが入られ過ぎないように、あくまでちゃんと楽しめるようにしてくれる、そういうところが班長としてありがたかったです
砂原「今回行けなかったぶんも、久保田さんには是非片上さんを色んなところに連れまわしてあげてほしいと思います」

任せてください。僕はまだしばらくKUCCに居座るつもりなので、片上だけといわず砂原も色んな廃道やダートに行きましょう。
しばらくは大麻でゆっくり休んで、長旅の疲れを癒してください。20日間お疲れさまでした。

 

最後に片上に電話を戻してもらいました。

久保田「もしもし」
片上ういーっす」

俺もそろそろ23年度に舐められはじめているかもしれません。

一番思い出に残ってること

片上「みんな割と楽しかった日のことを言ってくれたので、しんどかった日のことを話そうと思います。自分は山形の長井から舟形に行った日が本当にしんどくて。あの日はまじで暑くて暑すぎて、普通に十部一峠でちぎられてゼイゼイのぼったってのもあったし、予期せぬ崩落にも出くわして、漕ぎ終わった後にはグデーってなりました」
片上舟形の温泉で休憩してからテンバに向かうときに、本来であればなめらかなダウン、才門さんの言葉を借りるとなめダウンのはずだったんですけど、なぜか通行止めになっていて、突っ込んだら普通に崩落しててナイト担ぎさせてしまうはめになりました。あの日は振り返ってみるとブラックだったなあ、しんどかったなあって思いますね」


定時連絡で言い忘れたこと・訂正したいこと

片上初日の輪行日の定時連絡についてなんですけど、山下さんに言い忘れていたこととがあって。いわきまで輪行するのに常磐線を使ってて、途中茨城を通るから僕が『途中下車してセコマに行こう』って冗談めかして提案したんですよ。そしたら煙岡に真顔で『普通にちゃんと行きましょう』って諭されてしまいました。KUCC部員でありながらセコマの重要性がわかっていないのはギルティです」
たまたま横にいた山下「草。編集しておこうか?」
片上「お願いします(笑)」

山行がみたいに「8/4東北廃班の定時連絡に重要追記を行いました」って書いてもらいましょう。ちなみに煙岡は夏合宿の北海道パートを通じて現在ではセコマの重要性を学んだそうです。:教育:


久保田「他に何か書いておいてほしいこととかある?」
片上「うーん、そうですね。やっぱりうちの班は老人がけっこう参加してくれて賑やかだったし、そこはありがたかったです。北海道パートでは2回生と1回生だけで楽しくやれてきたけど、やっぱり外からの風があると楽しくなるなあと感じました。とてもありがったです」

こちらこそ、 短い間でしたが参加させていただいてとても楽しかったです。むしろ老人がいたことによっていらぬ負担をかけてしまった部分もあったかと思いますが、何かしらよいものをもたらせたのであれば救われます。


繰り返しにはなりますが、みなさん長い間本当にお疲れさまでした!! 帰りもどうかお気をつけて京都まで戻ってきてください。ポス夏やTQRで元気な姿を見れるのを楽しみにしています!!




【オマケの読みもの】記事のアップロードランキング

今年の定時連絡でも何かしらをやりたいと思ってたんですが、片上班の最終定時連絡はピンチヒッターということで十分に準備をする時間がありませんでした。というわけで今回は簡単な読みものとして今年度の定時連絡記事におけるアップロードランキングを発表したいと思います。

まずは定時連絡担当者が記事をアップした日時をSlackよりすべて取得します。対象は7/29~8/23の定時連絡です。





なお太字になっているところはまだ記事がアップロードされていないため、暫定的に現在の時刻をアップ日時としています。さらに黄色で着色されているものは明らかに数日経過しているもののいまだに記事があがっていないものです。反省してください

#幸野21は8月13日夏九州噴火班の定時連絡をあげろ
#原田21は8月16日クラシック東北北海道班の定時連絡をあげろ
#風化させない

さて、このアップ日時から定時連絡をした日の午後6時を引き算した時間を計算します。便宜上これを定時連絡を行ってから記事をあげるまでにかかった時間(h)とします。さらにこれを35人の定時連絡担当者別に平均として算出しランキング化してみました。中には体調不良や文面連絡が来なかった等の事情で記事が遅延してしまった例もあるはずなので、あくまでエンターテイメントとしてお楽しみください。

★さすがに早すぎぃ!! 当日中にはアップロード組(~6h)

★迅速!! 起床時には記事が読める組(6~12h)

★すばらしい!! お昼のストップには記事が読める組(12~18h)

★良質な記事をお届け!! 翌日までには読める組(18~24h)

★セーフ!! 2日以内には出します組(24~48h)

★反省してください!! 遅延常習組(48h~)



概ね体感と一致するところではありますが、数値化するからこそ見えてくるものもありますね。例えば幸野は実は早い記事は6時間ほどでアップしているのにも関わらず一部の記事の遅延がヤバいせいで平均してもとんでもないことになっています。
というか岡山は記事を1回しか書いていません。定時連絡担当表を北島に見せてもらったとき、「あーこいつやってんなあ」と思っていたのですが見事狙い通りになりましたね。

とまあここまでネタにさせてもらったものの、みなさん院試やツアーなどで多忙な中、できる限り記事を迅速にあげていて本当に素晴らしいと思います。21年度以上であれば知っていると思いますが、かつて定時連絡は長文化の流れの中で2日や3日の遅延は当たり前、ひどいと1週間後にアップされるなんてこともザラでした。速報性を大事にするという近年の風潮のもとで内容もきちんと伝えようとする記事が特に今年は多かったように見受けられました。本来は夏合宿に行かない(行けない)4回生が現役をサポートするという側面をもって行われてきた定時連絡が、かくも多くの参加者を出しながらも迅速かつおもしろい記事として届けられてきたのは、ひとえに担当してきた4回生の頑張りがあったからです僕のように暇な老人が道楽半分でクソ長い記事を書いているのは別にどうでもいいですが、現役部員のみなさんは4回生の労力にもたまには思いをはせてあげてくださいね。

(まだ1日ほど残ってはいますが)夏合宿に行った部員のみなさんはもちろん、定時連絡を担当されてきた4回生のみなさんもお疲れさまでした。
というかお前はこんなしょうもないことを集計して書く暇があるんだったらもっと早く記事を出せただろうという指摘にはごもっともですとしか言えませんすみません

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