定時連絡(2024/08/21)信州ダート班(青江班)
なんか消せない箱が出てきてしまったので下にずらしてます。
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せっかく場所が空いたので
#広瀬14は早く2017年8月21日の定時連絡をあげろ
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#風化させない
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【速報】移動式特別老人養護施設「ダートの里信州」急遽閉鎖!!
一世を風靡した移動式特別老人養護施設「ダートの里信州」(代表者:青江はな)が急遽事業を終了することが当社独自の取材により分かった。今まで多くの老人を受け入れてきた「ダートの里信州」の事業終了が社会に与える影響ははかり知れない。今回は、事業の終了後の老人の受け皿について紹介する。
これまで、計20人の老人を受け入れてきた「ダートの里信州」であったが、今回事業を終了することにより大きな受け皿が1つなくなることになる。現在の入居者は3人のことだが、全員が新たな入居先を探すことになりそうである。現在入居している老人の方に今後の入居先を聞いてみた。
S・I氏 「この施設は非常に居心地がよかったのですが、今回事業を終了するとのことで、非常に残念です。今後は熊野療養センターに入所して京都大学桂刑務所に通院する予定です。」
F・U氏 「実は私は2年前に類似の移動式特別老人養護施設「信州東北淺野」で勤務していたんです。そこに入居していた鈴木16という老人が酷くて施設長が一時的に出張でいないのをいいことに好き勝手していたんですよね。さらに、施設内で勝手にワシ軍団なる組織を形成して山下16、湯淺17といった取り巻きと一緒に大暴れしていたので、あんな老人にはなるまいと思っていました。今日は2年前に職員として行った乗鞍に介護される側で行きましたが、2年前よりも景色が良くて感動しました。あぁ、今後については私も京都大学桂刑務所に通院する予定です。」
N・N氏 「この施設は非常に居心地が良すぎて約2週間も滞在してしまいました。今回事業を終了するとのことで大変残念ですが、青江施設長の今後もありますので、次は一緒に施設に入居したいと思っています。とりあえずは、京都大学吉田更生院に2年ほど通院予定です。」
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即時入居可能!! 超高速移動式老人更生施設「ゆるふあゼアの光」
即時入居可能!! 特別指定暴力団「神戸衣川組」
即時入居可能!! 特別指定宗教法人「ALL JAPAN FOTWORK LAB」
即時入居可能!! 独立公益研究開発法人「線形線美学会」
即時入居可能!! 公衆衛生再生財団「くちびるの会」
これらの老人更生施設では入居者を募集しております。
豚に真珠、糠に釘、馬の耳に念仏、釈迦に説法、猫に小判、サイクリング部にDi2、補給にコンビニで買う水、テンバに民度、熊に熊鈴、ゴミ虫に蚊取り線香、パーにチョキ、北海道にセブン、行程遅延老害にロード、徳山にのぞみ、花脊にトンネル、雨にシミテックス、、そろそろやめます。昨日ぶりにこんにちは、村上15です。もう疲れています。
本日最終日を迎えた青江班の定時連絡をお送り致します。最終日が僕でいいのでしょうか。
班員:後藤24、アーロン23、青江23、梅村21、中西21、市原20
行程:奥飛騨温泉-平湯峠-乗鞍スカイライン(昨日2年ぶりに開通)-畳平-乗鞍岳登山-乗鞍エコーライン-松本
現在はロイヤルホストで最後の晩餐をしているところでした。
クラシック乗鞍行程ですね。災害のために通行止めとなっていた乗鞍スカイラインが2年ぶりに工事を経て復活したようです。
今日のトリビア:乗鞍スカイラインは岐阜県、乗鞍エコーラインは長野県と思われているが、乗鞍スカイラインには長野県の部分がある。
図の大丹生岳の県境を越えている部分です。
感想
青江23
乗鞍SLがめっちゃよかった。乗鞍岳とELは少しガスだったが、上っている途中は雲海も見え、めちゃくちゃよかった。乗鞍スカイラインは昨日13時に開通した。今日の天気が一番よさそうだったので、行程を巻いて今日行くことにした。途中で、TUCCと奇遇して色々話を聞くと文化の違いがあって面白かった。例えば、TUCCは全員が1人用テントをもっている。また人によって、荷物の量が全然違う。サイドバックの上にザックを乗せている人もいれば、ナップザックだけの人もいた。また、KUCCで言う「荷物デポ」のこと「ファージ」という。1回生は上回から餞別というものを持たされている。3kgのダンベルや詰め替えのボディソープ3回分やマウスウォッシュ1Lなど絶対にツアーで不要なものを運ばされている。かわいそう。夏合宿は全員信州で、後々甲府盆地に集まるらしい。また、タイヤが全員太い。40C以上を履いているらしい。でも、ダートは行かないらしいし、担ぎはしないらしい。何のために太いタイヤなのか全く理解できない。夏合宿は北海道と信州で交互らしい。
(夏合宿を経て変わったこと)
ジャンに対する抵抗がちょっと減った。
たくさん話していただきました。ほぼ乗鞍開店凸といった感じでしょうか。TUCCのツアースタイルは比較的KUCCに近いと言われています。北海道ではセコマは神という共通認識があり、かつ、ペペが神という認識がKUCC内では統一されていると思います。恐らく、他のサイクリング部でも138円パスタが神という認識まではある程度共通認識としてあるのではないかと思っていて、他の大学でもさらにペペが神なのか気になっています。138円であればナポリタンやカルボナーラもあるわけで、大学によっては「カルボは神」などと言っているのではないかと。僕も3回生のとき(2017年)の北海道班に行ったときに美瑛でTUCCと同じテンバで泊まったことがあります。隔年開催とすると、今年は偶数年なので信州開催ということで計算は合いますね。ずれていないということは、コロナ禍の中でも夏合宿をしていたということですね。
アーロン23
景色がきれいだった。今日はTUCCと3回ジャンをして全部同じTUCCの人が負けて、結局1000円分勝って神。
明日は輪行して実家に帰る。
(夏合宿を経て変わったこと)
ジャンがもっと好きになった。
ジャン第一法則:グーはチョキに勝つ
ジャン第二法則:チョキはパーに勝つ
ジャン第三法則:パーはグーに勝つ
ジャンの三大法則と言われています。しっかり覚えておきましょう。
後藤24
乗鞍スカイラインの景色がよかった。実は数日前から風邪で上りはややしんどかった。
明日、家族にお土産を買って輪行で帰る。
(夏合宿を経て変わったこと)
変わってない。強くなったとかもない、元々民度も低い、野宿適性やパッキング力ももともとから向上した感じもない。青江23の言っていることの8割は大真面目で、アーロン23の言っていることの8割はウソだということは分かるようになった。
(上回生から影響を受けたこと)
自分は低民度な自覚があるが、漠然とした低民度で、具体的な行為をするという点では何も成していなかった。多くの合流した上回生を見て、民度が低いことでこんなことやあんなことができるんだ、ということに気づかされて感動した。特に革命的だったのは、トイレ水。そこで汲めるという発想が当初なく、宮内20が実践しているのを見て感激した。宮内20は「これがあるべき姿だ」と言っていて、本当にその通りだと思った。
後藤は1回生1人と言う班でしたが、多くの上回生に触れてたくさんのことを吸収したようです。
自 分は当然のようにトイレ水を汲むのですが、最近明瞭に感じるのはトイレ水の飲めない若者が増えていることです。正直、コンビニで水やお茶を買っているのは全く理解できません。久世ア班では、唯一トイレ水汲んでいる甲賀24が久世アや大村に低民度と迫害を受けていると言っていました。そこで僕がトイレ水を汲むことで、我々が「こちら側」にいることを見せつけてやりました。トイレ水が汲めないのは、正直厳しいって。
反応閾値という言葉があり、KUCCの活動は(厳密な意味とは少し異なりますが)反応閾値と密接に関係しています。反応閾値とは、ある事象が起きたときにどれだけ耐えられるか、というものです。反応閾値が「低い」とは耐えられずにすぐに対応してしまう状態を指し反応閾値が「高い」とは我慢できる状態を指します。
例えば夕食の鍋を考えてみましょう。夕食と朝食で同じ料理を作るとします(ただし作り置きはしないものとします)。恐らくここで、夕飯が終わった段階で一度鍋を洗いたい人と朝も同じものを作るのだから洗う必要があるとは思っていない人がいることでしょう。ここで、反応閾値が低い人というのは「鍋を洗わないと気が済まない」人です。一方で、反応閾値が高い人というのは「鍋を洗う必要性を感じていない」人です。このような状況で、反応閾値が高い人は当然鍋を洗いません。なぜなら、洗う必要性を感じていないからです。必然的に反応閾値が低い人が鍋を洗うことになります。しかし、反応閾値が高い人は鍋が洗われていること、自体は何の苦痛でもありません。洗われていても、洗われていなくてもよいのです。
トイレ水も似たような考え方ができます。トイレ水が飲めない人、すなわち反応閾値が低い人はコンビニや自販機で水やお茶を買わなければなりません。一方で、トイレ水の飲める人、すなわち反応閾値が高い人は、コンビニでわざわざ水を買いません。なぜならばトイレ水はタダで汲めるからです。でも、トイレ水が飲める人はコンビニで売っている水が飲めないわけではありません。より安いものがあるから買わないだけで、トイレ水がない状況でコンビニの水しかなければ渋々お金を払って水を買えばよいのです。
最後にもう1つだけ例を上げましょう。雨の中で漕げない人、すなわち反応閾値が低い人は雨の日は停滞するか輪行をしなければなりません。一方で、雨の中で漕げる人、すなわち反応閾値が高い人は雨の中でも行程を進めることができます。当然、雨の中で漕げる人は晴れの日も漕ぐことができます。
ここまで書けばわかると思いますが、反応閾値が高い人には多くの選択肢がある一方で、反応閾値が低い人には選択肢が多くありません。各々の事象にそれぞれ各人に反応閾値の違いがあります。民度と反応閾値は完全に関連しているわけではありませんが、民度が低いことは一般に反応閾値が高いことを意味します。それは、ある種「人によってはできないことができる」という点で生まれ持った才能であり、非常に恵まれたことなのです。人間として反応閾値が高すぎるのは社会に出た後のことが心配されますが、残念ながら、KUCCの活動は明らかに反応閾値が高い人の方が有利に進められる構造をしています。後藤君は生まれ持った反応閾値の高さを存分に活かして活動を続けていってほしいと思います。ここまで活動を続けているということは、当然私も反応閾値の非常に高い人間です。ただし、先ほども述べたように反応閾値の高い人間は反応閾値の低い人間のすることを含んでいますので、当然に私は民度の高い行いもできるということは明らかです。
中西21
アップがきつかった。景色がきれいだった。
青江の班長をしている姿を見れてよかった、ありがとうございました。
梅村21
乗鞍は神。2年前よりもめっちゃ晴れていた。この班には10日くらいいた。普段通りのツアー。今日は風呂で洗濯していたら、メガネ取ると何も見えなくて、草。
市原20
乗鞍は神。張り切ってめっちゃ踏んで登って、1時間畳平で待った。この班には1週間くらいいた。乗鞍モチベしかなかったが、青江に定時連絡で来いと言われたので早めにきた:老益:。
後藤が手のかからない1回生で、上回が合流し過ぎたので青江が成長してない説が濃厚。
青江班長の総括
素直に楽しかった。行程も順調にこなせたが、天気が悪かった場所もあり宿題は多い。
以下に来てくださった方を列挙します。来てくださった皆さんにありがとうございます。
後藤24、アーロン23、青江23、梅木22、幸野21、村上15、田中22、村岡22、浅田20、宮内20、中西21、豊留21、山碕21、原田21、岡山21、池田22、梅村21、市原20、条辺20、大西20、清重22、貝柄21、宇野沢21
抜けていたらごめんだそうです。
3週間弱に渡り大変お疲れ様でした。
家に無事帰るまでが夏合宿です。最後までお気を付けて。
村上15
本日の読み物 「家系遺伝学概論」
本日は長編の読み物として「家系遺伝学概論」をお送りします。
僕が4回生のとき(2018年)に北山杉で「家系図」の概念を提唱してからはや6年が経ちました。その後も脈々と家系は受け継がれ現在に至るまで 続いています。今回はその家系図について新たに遺伝学的の視点を導入します。
まず、現在の家系図をしっかりおさらいしておきましょう。
家系図とは夏合宿の班長を親、1回生を子に見立てて世代を家系図のようにつないだものです。
私が入部した当初、現存していた家系は下記の3つです。
1.河井朝:河井90を始祖とする家系。一時は5つの分家を持ったが、2010年に脇木宮が滅んでからは、国松宮が一子相伝でつないできたものの、僕の1つ上の中村14(河井朝第25世)が子を為さなかったため、2015年に25年の歴史に幕を下ろした。
2.加納朝:加納98を始祖とする家系。縦断の祖である井唯10(加納朝第13世)らを経て僕の1年上では鈴木14(第43代主務)(加納朝第17世)と岡本14(加納朝第17世)がその唯二の末裔であった。その後、鈴木14は加藤15と宮本15を生んだが、宮本15は夭逝した。さらに翌年、加藤15は松村16(第45代主務)を生み、さらに松村16は澤村17と白井17を生んだ。しかし、白井17は夭逝し、加納朝第20世当主であった澤村17は子を為さなかったため、20代続いた加納朝は2018年に滅んだ。
3.河野朝:河野99を始祖とする家系。僕が入部した段階で14年入学のうち河井朝の中村14、加納朝の鈴木14、岡本14、そして後期入部でどの家系にも属していない佐藤14を除き、全員が属していた家系である。そして、現在にも残る最古の家系である。僕自身は河野朝第17世藤村宮家片山分家第2皇子にあたる。
その後の家系図の推移は次の通りです。
2016年には後期入部の井上15が新たに井上朝を創設した(なお、井上朝は4代で滅ぶ)他、加納朝19世の松村16がいたが、それ以外は全員が河野朝第18世である。
2017年には後期入部の藤原16が新たに藤原朝を創設した(なお、藤原朝も4代で滅ぶ)他、加納朝20世の澤村17、白井17(夭逝)がいたが、それ以外は全員が河野朝第19世である。
2018年には加納朝が滅び、井上朝、藤原朝以外の1回生は全員が河野朝第20世である。
2019年には井上朝が滅び、藤原朝以外の1回生は全員が河野朝第21世である。
2020年にはコロナの影響で夏合宿がなかったため、河野朝断絶の危機に瀕する。
2021年には19年入学と20年入学両方が班長をすることになった結果、新たに渡辺朝(翌年滅亡)、条辺朝(翌年滅亡)、大西朝(翌年滅亡)、ブハ朝(翌年を待たず滅亡)、浅田朝、佐谷朝の6つの王朝ができた。一方で、河野朝は第21世皇子の伊原19、久保田19、坂井19、原田19が班を作ることで滅亡を逃れる。藤原朝は滅んだ。
2022年には渡辺朝、条辺朝、大西朝が滅亡した。河野朝は第22世皇子の淺野21、東川21、山碕21、鹿角21、濱田21が子を為した。
2023年には新たに粂井朝が興った。浅田朝第3世皇子の白新田22が、佐谷朝第3世の梅木22と香川22が子を為した他、河野朝は第23世皇子の長井22、渡邉22、田中22、池田22、高橋22が子を為した。
そして、2024年には新たに久世朝が興った。粂井朝は存続し、浅田朝第4世皇子の柘植23と倍田23が、佐谷朝第4世の松浦23と青江23と蔭山23が子を為した他、河野朝は第24世皇子の片上23、今井23、入野23が子を為した。
つまり、絵としては下のようになる。
ちなみに、この中でサイクリング的に死んでいないM1以上の人間を赤で塗るとこうなる。
今、サイクリング部には王朝が5つあり、天皇が5人いる状態だということです。
家系図は言うなれば「男系の男子により継承される」ものなので、家系図には班員である2回生や他上回生は現れ来ません。
夏合宿家系図の趣旨は、サイクリング部における様々な文化やツアースタイル、ノウハウは主に班長から1回生に継承されるという思想の下で、男系継承を行わせているものです。
一方で、実際に1回生が班長の影響だけを受けて育つかと言うとそうではありません。今上天皇が上皇陛下のみから遺伝を受けているわけではなく、美智子上皇后陛下からも遺伝を受けているように、1回生は班にいる他の上回生の影響を受けているのであり、遺伝子レベルでは班長以外の上回生からも継承が行われてるはずです。
以下にその証拠を示します。まず、昨日の片上班の定時連絡で砂原24と煙岡24に上回生から影響を受けたことを聞いたところ、下記のような証言を得ています。
砂原24
(上回生から影響を受けたこと)
自転車を漕いでいて足をチェーンリングにぶつけてしまい、怪我をしたときに大脇がすぐに手当をしてくれて、こんな先輩になりたいと思った。
片上班長の教えてもらったことだが、ザックカバーを外側ではなく、背中の触れる側に掛けてパッキングすることで、紐をタイヤに接触しないようにしたり、補給も入るので便利。片上班長は昨年世一22から学んだらしい。ただ、めっちゃいいと思い2日目から実施していたが、BASの日に雨が降って外側がびしょ濡れになっていた。当の片上班長は自分に教えてくれたが、そのような使い方はしておらず、ザックカバーを出せるようにしていたため濡れていなかった。
煙岡24
(上回生から影響を受けたこと)
夏合宿全体を通して旅の仕方や行程の進め方、自炊の方法などは言わずもがな、パッキング方法、荷物の詰め方とかもたくさん教えてもらったと思っている。
口癖が間違いなく移っている。片上23の「マァ?!?!」や村上15の「ファ~」や久保田19の「しんど、、」など、生まれてから一度も使ったことのないような語彙が少しづつ身に着いていて、自分の口から発せられるようになっている。
また、本日の定時連絡でも後藤24から次のような証言を得ています。
後藤24
(上回生から影響を受けたこと)
自分は低民度な自覚があるが、漠然とした低民度で、具体的な行為をするという点では何も成していなかった。多くの合流した上回生を見て、民度が低いことでこんなことやあんなことができるんだ、ということに気づかされて感動した。特に革命的だったのは、トイレ水。そこで汲めるという発想が当初なく、宮内20が実践しているのを見て感激した。宮内20は「これがあるべき姿だ」と言っていて、本当にその通りだと思った。
このように、1回生が班長以外から影響を受けることは明白であります。
今回はこのような遺伝子レベルでの遺伝がどのように行われたかを可視化し、現在のKUCC内における遺伝子の構成がどのようになっているのかを明らかにしてみたいと思います。
遺伝の方式を次のように規定します。夏合宿に参加した全ての上回生や参加期間などを考慮し出すと面倒なので簡易的にモデル化しています。
①1回生への遺伝のうち半分は「班長」から遺伝するものとする。
②1回生への遺伝のうち残りの半分はその班に参加した上回生のうち、班長と同学年以上である班員の中で最も若い回生の全員で均等な割合で行われるものとする。ただし、2回入部で実質的にツアーを経験していないものは遺伝させない。
例えば、中山24、越後24、松倉23(班長)、石瀬23、野村22の5人の班では1回生には松倉23と石瀬23の遺伝子が50:50で遺伝することになります。
また、中山24、越後24、松倉23(班長)、石瀬23、温井23、野村22の6人の班では1回生には松倉23と石瀬23と温井23の遺伝子が50:25:25で遺伝することになります。
さらに、中山24、越後24、松倉23(班長)、野村22、石田22、出口22の6人の班では1回生には松倉23と野村22と石田22と出口22の遺伝子が50:16.6:16.6:16.6で遺伝することになります。
今回は非常に老害企画なので、15年入学を起算に考えます。すなわち、現在の1回生に15年入学の遺伝子はどれだけ残っているか、を検証します。以後、10年分の夏合宿の班構成をまとめてエクセル先生に計算を粛々と行わせます。
例えば僕には余合16、山田16、福士16の3人の子がいます(田村16と青野16は夭逝したので除きます)が、僕の班は班長が僕で他に石黒15と辰巳15がいたので、余合16、山田16、福士16の3人は村上:石黒:辰巳=50:25:25の遺伝子を持っています。これらの3人はいずれも翌年班長をしていないので、家系図上では村上宮は途絶えましたが、3人はそれぞれ下里班(ヨーロッパ)、神田班(スリランカ)、北地班(日本横断)に参加しているので、その子である大林17、大串17、梶野17(夭逝)、梶尾17には村上、石黒、辰巳の遺伝子が受け継がれることになります。このように代入を繰り返していくと結果は次にようになります。
「その他」の割合が15年入学以外の遺伝子になります。
まず、16年度
岡崎班と安田班に同回生がいなかったことで、3回生以上の遺伝子が入り、その他の割合が50%の人が出始めます。ただ、遡れば15年入学も誰かの遺伝子により構成されているのでそういう意味でこの50%は上回生の誰かという意味ではあまり意味はありません。
次に17年度
普通に遺伝子が残っている他、同回生のいなかった山下班や笛木班に行くことで岡崎15や山田あ15が更に遺伝子を残すことに成功する。後期入部の藤原16が班を作ったことで、広瀬17は既に63%が15の遺伝子でない。
次に18年度
この時点で純粋に15の遺伝子だけの部員は4人だけになる。
さらに19年度
全員が純粋な15の遺伝子ではなくなる。この年初めて岡崎15と村上15の遺伝子が全員に行きわたる。ワイは高祖父として責任をもって国内班全班に行っている。
20年度は誰も15の遺伝子を持っていない。
21年度、20が班長をしたり20が複数いる班で15の遺伝子を全く持っていない部員(岡山21、幸野21、水越21)が誕生。
22年度
全体に占める割合は下がっているが、嶋村15、座小田15、北野15以外の全員の遺伝子が全員に行きわたる。
23年度
粂井家誕生により、さらに15年入学の遺伝子の割合が下がる。
24年度
久世ア家の誕生によりさらに15年入学の遺伝子の割合は下がるが、遂に全員の遺伝子が全員に行きわたる。
最も15年入学の遺伝子を継承しているのは片上班の砂原24と煙岡24で39%が15年入学ではないものの依然として61%の遺伝子が残っていることが分かります。特に山田け15の遺伝子を9%、村上15の遺伝子を8.6%と高い割合で保有しています。
最も15年入学の遺伝子を継承していないのは久世ア班の甲賀24と大村24で25%となっています。
このデータを元に現在の24年入学の遺伝子プールの中にあるそれぞれの遺伝子の割合を計算すると次のようになります。
既に60%は15年入学以下の遺伝子となっていますが、まだ40%ほど遺伝子が残っていることが分かりました。特に岡崎15、村上15、山田け15の3人は5%以上の遺伝子を残しています。まあ、確率論的には最初の子供の数が多いほど遺伝子プールの中に撒かれる遺伝子の量が多くなるので当然と言えば当然の結果か。
とりあえず、女系ではありますが、24年入学が全員ワイの遺伝子を引き継いでいることは確認できたので、今後も親戚のおじさんとして顔を出せますね(なんで死んでないんや)
結局10,000字になってしまいました:持続不能:
村上15